ACPは点か線か(薬剤師研修に思う)
- Chieko Tsukamoto

- 1 日前
- 読了時間: 4分

今回はwebでの研修です。研修とはいえ、オンラインですし、オンデマンドも配信されるそうなので、一方的な感じにならなければいいな、と思っています。
お題は「ACP」。
昨年度は、退院支援の第一人者のナースがお話しされた、ということで少々緊張します
ACPを知っている、という人と、その本来の意味(辞書に書いているような文言ではなく)を理解されている方というのは、非常に格差があり、そして、医療の現場で使う「ACP」はDNARと同義語のように使われていることも現実には多く、少々私は「もやもや」しています。 10年近く前、急性期外科系の医師が「家族も本人も望まない」とする人工栄養をやめることに非常に躊躇した事例がありました。
勉強会で事例を持ち寄った時、
「今どき?」「今やACPで選べる時代だよ」とまるで「トレンド」のように、口にした医療介護関係者が多かったことにとてもとても私は衝撃を受けました。
患者を救うべく医師になったチームの一人である医師が、そのACPは倫理的に大丈夫なのかと「謙虚に悩む姿勢」を一蹴したのです。
そして、色々迷ったり悩んだりするチーム医療の中で、それぞれが「完全な納得」ではないが、「最適解」を探すことには成功したように思っています。
家族は答えは決まっているのにたくさん揺れる物です。 そして、それを当たり前の心情と理解できる人と、 ◯か✖️かのように、「どっち?」と決めさせて、 そのままどんどん進んでいくことに躊躇ない人と、両極端だなと思いました。
酸素をいくのか、点滴をするのか、延命をするのか、栄養をとめるのか続けるのか。 その「点」にこだわると、間違ってしまう。
線と面で捉えられる柔軟だと洞察力と寄り添う力。
それを知るための工夫。
その人がどう生きてきてどう生きていきたいか、を全てわからなくても考える。
ACPは自分への問いと、相手への深い理解だと心から思うのです。
【「点・線・面」で考えるACP】
ACPを「点」として捉えると、意思決定の場面で何を選ぶか、という一回の確認に見えてしまいます。酸素を使うのか、点滴をするのか、救急搬送をするのか、どこで療養するのか。もちろん、その一つひとつは大切な「点」です。
けれども、人の思いは、その時々の体調や出来事、人との関係の中で揺れ動きます。だからこそ、点と点をつなぐ「線」として、普段の会話や受診、薬局での相談、入院や退院の経験を捉えることが重要になります。以前は「家に帰りたい」と話していた人が、症状の変化によって「もう少し病院にいたい」と思うこともあります。その変化は、意思がぶれたのではなく、その時の本人にとっての大切なものが変わった、あるいは新しく見えてきたということかもしれません。
さらに、ACPは本人だけの線ではありません。家族、医師、看護師、薬剤師、介護職など、それぞれの立場から見える情報や願いを重ね合わせる「面」の営みでもあります。面で捉えるとは、全員が同じ意見になることではなく、違いを持ったまま、本人の人生にとっての納得できる方向を一緒に探すことです。
選出の医師の思いは「面」として捉えると、融合させることはできそうです。
「点・線・面」で考えると、ACPは特別な書類を完成させる作業ではなく、日常の小さな対話を積み重ね、必要な時にチームで振り返る実践だと見えてきます。大切なのは、答えを急いで固定することではなく、「今、この人にとって何が大切なのか」を何度でも問い直せる関係をつくることだと思います。
【薬剤師・調剤薬局が関われるACP】
研修のネタバレになるので、多くは語りません(笑)
調剤薬局は、病院の中だけでなく、地域の暮らしの中にあります。だからこそ、薬剤師には、本人の「いつもの様子」と「いつもと違う変化」の両方に気づける可能性があります。薬を受け取る場を、薬の説明だけで終わらせず、安心して思いを話せる場にしていくこと。その積み重ねが、本人の意思を支え、多職種が同じ方向を向くための大切な線になり、やがて地域で支える面につながっていくのだと思います。
ACPは、人生の最終段階だけに始めるものではありません。薬剤師・調剤薬局が、日々の服薬支援を通じて本人の声を聴き、必要な人へつなぐ。その小さな関わりの一つひとつが、その人の「どう生きたいか」を支えるACPになっていくことを私は望んでいたいと思います。



私は今、治療を受けていて、調剤薬局の薬剤師さんにとてもお世話になっています。処方をするのは医師なのでもちろん相談はしますが、やはり日常服用していく不安とか、身体に入れる薬なので。質問しても話してくれます。大事な存在です。